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会えない今だからこそ”言葉にする事”をサボってはいけないと思った話

「今日は楽しかった、ありがとう!また遊ぼうね」

学生時代の私は実にマメだったと思う。

友達と飲み会した後はお礼メールを送り、次はこんな事して遊ぼうねと次回につながる提案をサラッと入れる。(営業マン感丸出しの言い回し・・・)SNSで自分が好きな映画を投稿していた子がいたかと思えば「私もこの映画みたよ!この映画に似ているこんな映画もおすすめ」とすかさずコメントをいれる。

おかげで学生時代は、周りから比べると比較的友達が多い方だったし、人と遊ぶので忙しかった気さえする。今覚えば「リア充」と呼ばれる指標で人が評価され、カーストが決まっていく…そんな学生社会で生き延びる為に、自然と身に着いた”マナー”的なものだったのかもしれない。

いつからだろう。マメじゃなくなったのは。

気づけばLINEやメールは業務連絡だけになったし、SNSもビジュアル重視で自分が好きなように投稿。特に友達の投稿にコメントすることもなくなった。

無論、社会人になってからも続いている友人はある程度の信頼関係がすでに構築されているので丁寧なコミュニケーションが無くても心配はない。だから、「あ~、こんな友達がいてよかった!」と幸せいっぱいほろ酔いの華金の夜もわざわざその気持ちを伝える事も少なかったし、なんだか照れ臭かった。


別にそれが悪いことだとは思わない。いや、思っていなかった。


今、コロナの猛威が世界中を混乱させ、「STAY HOME」な毎日が続いている。私の会社も例外ではない。

睡眠時間が増えて体調がよくなったこともそうだし、合間で家事をしながら仕事ができる事で、終業後にこんな風にnoteを書くことが余裕ができたこともあり、そこまでリモートワークの日々にストレスを抱えているわけではない。むしろ順応してしまったともいえるかもしれない。

ただ、不意に<仲間からの日ごろの感謝のメッセージ>が来たとき、自分が孤独から解放された安堵の気持ちを抱いていることに驚いた。そして、今までFace to Faceで会うという”行為”に甘えて”言葉で伝える”事をサボっていた自分にはっとしたのだ。

私の会社では3か月に1回<仲間に日ごろの感謝のメッセージを送る>という行事がある。(私の会社では社内独自のツールを開発しているが、”Unipos"とかに近い仕組み。)リモートワーク中の今も例外じゃなく行われた。

「いつもありがとう」

シンプルな言葉でもやはりとてもうれしかったし、<一人じゃないんだ>と感じた。正直、救われた。

家で一人で仕事をしている時間は、自分の仕事ぶりに対して周りがどう思っているのか、いつも以上に気になってしまうし、根拠のない不安に苛まれることもある。

人に会わない時間は思ったより”孤独”だった。

きっと、”Face to Faceで人と会う”という行為そのものだけで、人は心が満たされ<一人じゃないんだ>と感じることができているのだろう。顔や表情、立ち振る舞いからその人の心情や感情を読み取る事が、人間(もしかしたら日本人は特に)はかなり得意だ。そういった人間ならではの”観察力”は日ごろふんだんに使われている。

※無論、その”観察力”ゆえに、人と会うことで疲れたりしんどくなる日も0ではないことは前提にあるが…笑


しかし、”言葉で伝える”事をサボっていなかっただろうか。


この思いを「コロナだから」という時事ネタにしたいわけではない。

先ほどお話した、飲み会後を例にあげてもそうだ。友人と別れた後は対面していない。相手の顔や表情、立ち振る舞いから感情を読み取ることもできない。

SNS上はもっとそうだ。いくら「その映画私もいいと思っていた!映画の趣味が合うかも。今度話したいなあ…」と思いながら”いいね”をしても、相手には伝わらない。

今と同じように人と会えない状況は今までもいくらでもあったはずだ。

自分の表情や行動で伝わっているだろうと思っていたことが、結果相手に伝えられていなかったこと、沢山あったのではないかと思うとぞくっとした。

そして<言葉にしていなかった>自分の怠惰に情けなくなった。


人と会うことができない日々が続いている今、人と人との間に生まれるエネルギーの大きさを改めて再認識している人は少なくないだろう。私もその一人だ。

”異常な環境”が教えてくれた、至って当たり前にも思える<言葉にする事>の大切さ。


まずは、家族への「ありがとう」の量を増やすことから始めようと思う。

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