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かつて苦手だった”この街”が愛しく映るのは私が大人になったからなのか

題名にあるかつて苦手だった”この街”は、東京の外れにあるいわゆる「郊外」。私の生まれた街である。

地名を言っても「え、それどこ?」って言われる街なんて、東京にいくつあるだろう。私的統計によると認知度は10%未満(笑)「〇〇駅(最寄りの5駅先くらいの駅)のすぐ近くだよ〜」と言って、やっと「あ〜あそこね」と分かってもらえるくらいの認知度なので、私の友人たちは大体誤った理解をしていると思う。

この街には生まれてから22年間住んでいたが、「もっと都心に住みたい!」と社会人1年目のときに街を出て品川区大井町に5年間住んだ。前にnoteにも書いているが、これから待っているイケイケ社会人生活に目をぎらつかせた勢いでのゲリラ的な引越しだったから、過去の思い出を振り返る心の隙間もなく、この街を離れる寂しさに浸ることはなかった。
(そんな大井町で過ごした涙あり笑いありの5年のダイジェストはこちらのnote。)

むしろどこか苦手意識を持っており、「家族も地元の友達も大好きだけど、この街はなんだか好きになれなくて。」と地元の友達みっちゃんとうっちー曰くよく言っていたらしい。

そんなわたしは今、自分が生まれた”この街”に住んでいる。話すと長くなるのだが、結婚して家を買って家が建つまでの1年間の仮住まいの場所を、苦手意識すらあったこの街に決めた。なんでだろう?うーん、理由はまだわからない。

そして、ここにいられるのもラスト数日になった。今ほろ酔いで書いているからかわからないが、超寂しい。めっちゃ寂しい。もうここに住むことがないのか?と思うと、あんなに好きだった大井町を離れる時よりも寂しい。自分でも不思議だ。あんなに昔苦手だった”この街”を、なぜ今こんなにも愛しく感じるのか。

このnoteを書き終わったときにその理由がわかっているかはわからないけど、何か答えに近づける気がするから、”この街”の好きなところを写真と共に振り返ってみることにする。

①空が綺麗

日頃意識しないで歩くと大体斜め下を見ながら歩いている。それは文明の力であるスマホの影響が大きいと思うが、そうじゃない時だって、無意識に下の方を見ていることが多い。
そんな私がスマホから目を離し、少し上を見て歩くようになったのは、スマホの中に映る情報よりも素敵な空があったから。

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自然が多い街だから、空を見上げると青と緑がフレームインする。

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虹ってこんなに綺麗な曲線を描いているんだと驚いた。よく見ると二重になっている。

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この街の空は近い。雲に手が届きそう。

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高いビルや電線に遮られることなく空を見ることができるって、尊い。自分の目の中に映るのが空だけというのは思った以上に気持ちがいいものだった。上を見ると自然と胸が開く。胸が開くと前向きな気持ちになる。

朝起きて家の目の前の道で大きく広がる空を見るだけで、だいぶリフレッシュされた。

②野菜直売所は宝探し

この街には野菜直売所がハンパじゃなくある。コンビニくらいあるんじゃないかな。小さい頃母がよくお散歩の寄り道で野菜直売所に寄るのに黙ってついて行ってたが、正直魅力はあまり感じていなかった。
でも今じゃ、野菜直売所の旗を見つけると何か掘り出し物はないかと必ず寄ってしまう。私の特別な場所だ。キャッシュレス化が進む中、家の周りを散歩するときはポッケに小銭を少し携えるようになったのも、野菜直売所で「小銭がなかったから買えなかったー!」って後悔を絶対にしたくないからだ。

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安いのはもちろん魅力だが、とにかく美味しい。野菜の色ってこんなに鮮やかだったっけ?と思うくらいとても新鮮なのだ。
朝9時になるとお気に入りの野菜直売所がオープンするので、始業の前にたまにお散歩に出かける。朝会の声のトーンがワントーン高い時は、たったの100円でどっさりのジャガイモが買えた時の可能性が高い。

③最高の地元飯がある

”この街”に住んで驚いたのは、美味しいお店があること。小さな頃父母に連れて来てもらっていた馴染みのお店は、お酒を飲めるようになった私にとって最高だった。

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この焼き鳥屋は格別で、小さな頃から行っていたこともあり愛着がある。緊急事態宣言でテイクアウトでの営業しかできなかった時も、お店を少しでも支えられたら…とせっせこ通ってしまった。

店の中で会話されている内容も「あの新しくできた歯医者はめっちゃいい」だの、「なんとかさんちの娘があの小学校に通ってる」だの、まあローカルトークで別に知ったこっちゃないし聞いて得する話でもないんだけれど、なんだか落ち着くBGMになったりする。

ふと「ただいま〜」と言いたくなってしまうようなお店が住んでいる街に1つあるかどうかは、飲兵衛の私からしたらとても重要なポイント。

(ちなみにこの店はたいちゃんが初めて我が家族に会いに来たときに父母が張り切って連れてきてくれたお店。途中で近所に住んでいる叔父叔母も合流したりして盛り上がった結果、びっくりするくらい日本酒を飲んでしまい、父もたいちゃんも記憶をなくした。笑)

この街の愛しさに気がつくのには時間と刺激が必要だった

この前、中学の同級生であるみっちゃんがしばらくぶりに”この街”に遊びに来た。「都心の方が美味しい食べ物あるしね。”この街”は何にもないよね〜」なんて言って、いつもみっちゃんと会う時は”この街”から遠く離れた都会だったから、どんな心境の変化があったんだろうとだいぶびっくりした。

その日は二人でしばらく散歩をした。「あの家〇〇ちゃんの家だよね、今〇〇ちゃん子供何人いるんだって」「あそこで〇〇くんが告白するの見てたよね」歩いているとびっくりするくらい思い出が蘇ってきた。どれもくだらなくって、こっぱずかしい話ばかりなのだが、その時一生懸命に大人になろうとしていた自分に再会できた気がしてなんだか嬉しくなったのだった。

土が靴につくから歩きたくないといつも通らなかった畑道を歩きたい気分になった。Dr.Martensの買ったばかりのブーツを履いていたのに、そんなことは不思議とあまり気にならない。

みっちゃんは夢中になって写真を撮っていた。え?ここ観光地じゃないけどね?とツッコミたくなるくらい。

あれ、こんなにきれいな場所だったっけ?土の匂いもほのかに香るニンジンの匂いも、懐かしい気もするけれどなぜか新鮮でしばらく畑道のど真ん中でぼーっとしていた。

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気付いたら私たちは言っていた。「なんか”この街”いい場所だね」
こんな素敵な場所がこんなに近くにあったのなら、嫌なことがあったらここに来てお散歩したらスッキリ忘れられそうだったのにね。おいしいお店もあるし、広くて綺麗な空もあるし、文句なしなのにね。

私は社会人になって急ぐように”この街”にないものがたくさんある大井町に住んだ。みっちゃんも同じように働きはじめてすぐこの街を出た。

そして5年経ってやっと、”この街”を愛おしく思えるようになった。

この時間と都会の刺激は、必死に大人になろうとしてたこっ恥ずかしいあの時間を、あの時の自分を認めてあげて愛してあげるのに必要なものだったのかもしれない。

この街には素敵な印象や思い出だって本当は多いはずなのに、人間って本当に不思議で、嫌な印象や思い出の方が記憶に残る。

スクールカーストを気にしながら過ごしていた小学生時代、しっかり厨二病だった中学生時代…何かと振り返りたくない恥ずかしい過去とこの街をどこかで結びつけていて、なんとなく苦手意識をもっていただけなのかも。

プリクラ撮りたいのに電車に乗らないとゲーム屋さんがない事、家の近くの川を歩いてるだけで遊んでるヤンキーに絡まれる事、畑道が多くてお気に入りの靴が土だらけになる事。そんなのはこの街が苦手だと感じていた理由でもなんでもなかったんだ。

大人になってこの街に帰ってきたのは、本当にたまたまだったが、神様がくれた素敵な時間だったと思う。この街の素敵なところにたくさん気づけ、過ごした時間もまるごと愛おしく感じられた。

”この街”がふるさとでよかった。帰る場所がここでよかった。

次の街へ・・・

次は縁もゆかりもない新しい街に自分の住処を作る。もう少し前に”この街”に帰ってきていたら、ここに住処を作る決断をしていたかもしれないとすらたまに思うけれど、それは私と”この街”との距離が少し近すぎてしまうからきっと違うんだろうな。

新しい街が”この街”と同じくらい愛しい場所になりますように。



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